第8回身近な京都を知る歴史散策概要(中世)を辿ります。

今回の散策では船岡山の中世・近代の様々な文化財を巡り、その後は御土居の北辺を巡りました。

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御土居は台形の土塁と堀から成り、その総延長は約22.5Kmに及びます。天正19(1591)年の閏正月から造営を開始し数か月で完成させたといわれています。3か月として実働90日とすれば、1日250mの御土居を作り上げていったことになります。幅10m以上、深さ数mの土を掘り、それを土塁として盛り上げていくわけですから、1万人以上の人員で様々な場所で同時に造営していったものと考えられます。平安京でいう西堀川跡や紙屋川の渓谷を上手く利用しながら造っていったと思われますが、秀吉のことですから作業を競わせ褒美を与えながら進めたものと想像されます。

そんな御土居は江戸時代になると幕府管理となり近世京都の重要な施設として存続しました。主に土塁が重要視されていたことから「御土居」の名称になっていったようです。秀吉の頃には「土居堀」と呼ばれていたようです。

近代になると御土居は民間に払い下げられて破壊が進み、戦後の急激な復興により姿を消していきました。昭和5年に現存していた8カ所の御土居が国指定の史跡に制定され保全が図られ、昭和40年には北野天満宮境内に残る御土居が国指定の史跡として追加登録されています。

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